社会における座標

終業式も無事終わり、おさるさんたちにも「よいお年を」という
年末のご挨拶の仕方を教えた。

そして、夜は納めの呑み会。

ここ最近、職場の呑み会の居心地が、いまいちよろしくない。
・・・うまくいえないんだけれど、「ここにいていいの?」という感じが抜けない。

若い頃は、自分自身が、気を遣いすぎて疲れてしまうので
呑み会に行きたくないと思うことが多々あった。
今は、もう、どこにいても私は私のままでいられるので
ああいう気疲れはないのだけれど、
そのかわり、お尻の落ち着かないような居心地の悪さに
始終悩まされたりしている。


かなり、人生が多様化したとはいえ、
私の年齢の、独身女性はいまだに少数派だ。
自分の暮らしぶりに、負い目引け目はないつもりだけれど
社会における、自分の座標がつかみにくいのは、確かだ。

結婚を機に、色恋を卒業し、
出産を機に、成長曲線を折り返すことを自然に受け止める人の多い中、
うまく歳をとっていかれなくなっている自分を
ときどき発見してしまうのは、正直な事実。

二十歳のころから、変わらない毎日を続けて、
その間に、節目もほとんどなく、
しかも仕事上も、出世や役付きさえなく、
年齢だけを重ねていく。
その間に、私自身の内面には、いろいろと変化も成長もあったし、
肉体は確実に老いの兆候を示し始めているけれど、
そんな私が、今、入っていくべきグループがここにはないんだな。


昼間仕事をしているときは、十数年というキャリアだけを意識していれば済む。
だけど、少しプライベートも混ぜたような、
この微妙な空気の中で、
もちろん、もはや宴会の華ではなく、
かといって、主婦・主夫の仲間にも入れず、
でも、一昔前のお局サマのようにもなれない、小さき、一オールドミスは
誰に気を遣い、誰を思いやり、誰に同調してどこで笑いを取ればいいのかもわからずに、
今日も当たり障りなく、近くの席の人と話して、
そそくさと一次会で、姿を消してきた。


これはそのまま、日本での女性の生きづらさを考える材料になったりもする。
娘でもなく、女のコではなく、
でも、母でもなく、おばさんでもなく、おばあちゃんでもないときに、
なんと呼ばれる存在でいたらいいのか、
未だにわからない・・・。
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by noraneko_89 | 2005-12-22 23:40 | 日々の暮らし


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